縄文時代のタイムカプセル―伝福寺裏遺跡―【学芸員自然と歴史のたより】
当博物館の人文館1階にある考古学の展示室では、三浦半島にヒトが住み着いたころから中世の三浦一族が栄えたころまでの歴史を紹介しています。今回はその展示室の入り口にある縄文時代の丸木舟(まるきぶね)が出土した、伝福寺裏遺跡についてご紹介します。
伝福寺裏遺跡は横須賀市久里浜に位置する遺跡で、昭和10年代に行われた横須賀線の久里浜港までの延長工事の際に発見されました。戦後、赤星直忠氏により、数度の試掘調査が行われましたが、当時は古墳時代から古代の遺跡として認識されていました。その後、昭和56(1981)年から57(1982)年にかけての発掘調査により、土器や石器、骨角器(こっかくき)や木製品など縄文時代を中心とした多くの遺物が見つかりました。実は、常設展示室にある「海の生活」を再現したジオラマの男性が仕留めた魚に刺さっている銛頭(もりがしら)も伝福寺裏遺跡で出土した鹿角製銛頭のレプリカです。
丸木舟の出土状況
昭和56(1981)年の調査(第2次調査)において土留めのパイルで切断された状態で発見されたため、翌年に追加調査(第3次調査)を行い、丸木舟を取り上げた。横須賀市指定重要文化財。
銛頭の出土状況(長さ10.9㎝)
伝福寺裏遺跡の最大の特徴は、多くの植物遺存体が出土したことです。もちろん丸木舟もその一つになりますが、その他にも木製の杭や板材などの加工木、自然木、木の葉や果実、種子などが見つかっています。こうした植物遺存体など有機質の自然遺物が遺跡から出土することはあまり多くありません。しかし、伝福寺裏遺跡は低地に立地し、泥炭化した層を含む水分量が多い土壌中で、酸素が少ない状態にあったため、腐ることなく保存されていたのです。
このような遺跡に遺る自然遺物は、当時の自然環境や人々の暮らしぶりを考えるための手がかりとなります。伝福寺裏遺跡では、検出された木材や種子から、縄文時代前期末から中期初頭(約5,000年前)の遺跡周辺には、スダジイが優先する照葉樹林が成立していたと考えられています。また、出土している遺物組成からは、漁獲物の解体や漁撈具の製作・修理などを行っていた作業空間だったのではないかとされています。
このように、伝福寺裏遺跡は縄文時代の自然環境の復元に加え、資源利用の多様性を物語る、まさに縄文時代のタイムカプセルともいえる遺跡なのです。(考古学担当:萩野)
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