学芸員自然と歴史のたより「古東京湾の地層:大津砂泥部層」
約258万年前に始まり,現在も続く第四紀は,氷河時代とも呼ばれます。寒冷な氷期と,温暖な間氷期が繰り返し訪れています。約12万5千年前は世界中で温暖化が進んだ間氷期で,海面が上昇して海岸線が内陸側に移動しました。この時代の海岸線の移動を下末吉海進といいます。この海進によって,関東平野には古東京湾と呼ばれる浅い海が広がっていました(図1)。
図1.約12万5千年前の関東地方の様子.増田 (1992) に基づき作図.
古東京湾でつくられた地層は,横須賀市にも分布しています。深田台から小原台周辺に分布する大津砂泥部層です。最近,博物館となりの中央公園では,公園のリニューアル工事に伴って大津砂泥部層が露出しました(図2)。大津砂泥部層からは,貝の化石が多く見つかります(図3)。この地層の貝化石は,現在の海にすんでいる種類がほとんどなので,貝化石を調べると地層ができたときの環境を推定できます。馬堀周辺の貝化石に基づき,大津砂泥部層は内湾の環境でつくられたと推定されてきました。つまり,横須賀は古東京湾の南縁にあったのです。
図2.博物館となりの中央公園に露出した大津砂泥部層.
図3.博物館付属馬堀自然教育園の大津砂泥部層から産出した貝化石の例.柴田ほか (2017).
横須賀市大津町や根岸町では,2010年以降の宅地造成により,大津砂泥部層の新しい地層が出現しました。おもに泥からなる地層で,砂や礫の地層も含まれていました。泥からは潮間帯にすむウミニナ,潮下帯にすむマガキなどの貝化石が見つかりました。これらから,干潟や内湾の環境であったことが推定できます。また,基盤岩である逗子層の分布の様子から,当時は内陸の森崎から沿岸の大津町・三春町に向かって開いた谷があったと考えられています。すなわち,この南北の谷を大津砂泥部層の干潟や内湾(入り江)の堆積物が埋めていたのです(図4)。このような海に向かって開いた三角形の入り江をエスチュアリー(三角江)といいます。
大津町や根岸町,中央公園の地層はすでに人工的におおわれ,残念ながら現在は観察することができません。(地球科学担当:柴田)
図4.横須賀にあったエスチュアリー(三角江)の復元図.柴田ほか (2020) を改変.
※この記事は「まなびかんニュース」2020年6月号の記事に加筆修正したものです。 もっと詳しく知りたい方は柴田健一郎・倉持卓司・蟹江康光 2017. 横須賀市自然・人文博物館付属馬堀自然教育園の更新統大津砂泥部層から産出した軟体動物化石. 横須賀市博研報, (64): 1-12. 柴田健一郎・倉持卓司・蟹江康光 2020. 横須賀市根岸町に露出した更新統横須賀層大津砂泥部層のエスチュアリー堆積物. 横須賀市博研報 (自然), (67): 1–8. 「学芸員自然と歴史のたより」はメールマガジンでも配信しています。