黒猫ミューザをよろしくお願いします!【学芸員自然と歴史のたより】
博物館のアイドル!?に、わんぱく黒猫のミューザがいます。チビ猫ミューザの夢は博物館でいろんなことを学んでビッグになること。もちろん、本当に猫が博物館を歩き回っているのではありません。FMブルー湘南で放送中の「まなび猫調査隊」(毎週木曜日14:40~約10分間、博物館紹介は第2木曜日)で、博物館の紹介をするオス猫ミューザが登場したのは、昨年4月のことでした。ミューザをご存じなかった方は、この機会にラジオを聞いて、ミューザのファンになっていただければと思います。
さて、ミューザの名前は、英語Museumの語源であるギリシャ語のMuseion(ムゼイオンなどと発音)から名付けられています。Museionは、美と学問を司る神ミューズの殿堂のことだそうです。
それでは、日本語の博物館という言葉はいつ登場したのでしょうか?初出は定かでないようですが、一般に知られるようになったのは福澤諭吉が西洋を紹介した『西洋事情』です。そこでは、「博物館」を「世界中の物産古物珍物を集めて人に示し見聞を博するために設けるもの」としています。そして、博物館の次に「博覧会」を「西洋の大都会には、数年毎に産物の大会を設け、世界中に布告して各々その国の名産、便利の器械、古物奇品を集め、万国の人に示すこと」と紹介しています。博覧会といえば、現在放送中の大河ドラマでも同様の場面があり、渋沢栄一にとって貴重な体験であったことが描かれています。2024年から福澤諭吉に変わり一万円札の図柄になる渋沢栄一ですが、民俗学をはじめ博物館にとっては、孫の渋沢敬三も重要な人物です。
渋沢敬三の来歴や功績をすべて紹介するにはあまりにも紙面が足りないのですが、アチック・ミューゼアムを組織し各地の民俗・民具の調査報告を刊行したこと、九学会連合に代表される複数の専門分野による地域調査を主導したこと、が挙げられます。九学会連合の調査報告書の多くには、「自然・文化・社会」の言葉が付され(『佐渡―自然・文化・社会』など)、総合的な地域研究を目指したことがわかります。
それと同時期の昭和29年、横須賀市博物館が自然部門と人文部門を有する総合博物館として、久里浜の地に開館しました。当時としても市立の総合博物館はめずらしく、それは2021年7月現在でも変わりません(例えば、全国に62ある中核市で総合博物館を設置しているのは旭川市・函館市・水戸市・横須賀市・長野市・一宮市だけです)。久里浜から深田台に所在地を移しながらも、常に横須賀・三浦半島の自然と歴史に目を向け、成果を発信してきた博物館ですが、市民の方々から常設展示の大規模リニューアルを望む声があることは確かです(学芸員もその必要性は痛いほどよくわかっています)。
もし大規模リニューアルをする機会に恵まれたら、開館から現在まで蓄積してきたものを総合した展示になります。現在の博物館は珍品や名産品を陳列するだけの場所ではありませんし、福澤諭吉も先ほどの「博覧会」のところで、お国自慢ではなく各国の良いところを見聞して自らに活かすのが目的である旨を述べています。最初に紹介したミューズ神もそれぞれ役割を持った9人の女神の総体だとされており、多彩な分野が集まることで得られるものを示しているのかもしれません。もちろん博物館では、学芸員だけでなく、市民の方々のご意見を聞きながら活動をしていきます。そのためのアンケートも実施していますので、ぜひご意見をお寄せください。
本館のアンケートコーナー
様々なご意見を取り入れながら、横須賀・三浦半島の自然と歴史に真摯に向き合い、それを後世へと伝える学問的姿勢は、大規模リニューアルに関係なく、持ち続けていきたいと思っています。何色にも染まらない黒猫ミューザのように…(民俗学担当:瀬川)
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