横須賀製鉄所副首長ティボディエの家② 特徴的な屋根の構造―フレンチトラス【学芸員自然と歴史のたより】
今回も前回に引き続き、横須賀製鉄所副首長ティボディエの家についてご紹介します。
前回の記事では、ティボディエの家の発見経緯や歴史的価値が高く評価された様子などをご紹介しました。今回は、学術調査の中で見えてきた建築としての特徴について、一部、ご紹介してみたいと思います。
まず、ティボディエの家の発見につながった平成13(2001)年の調査では、目視可能な箇所について、全体的な観察が行われました。壁の表面や間仕切壁、屋根の仕上げ材などに、広範囲に改装の痕跡が認められたものの、建物を支える主要な柱などの骨組みは、旧態を保持していたものと推定されました。
2001年の調査で、最も保存状態が良いと判断されたのが、屋根を支える骨組でした。これを建築用語で小屋組と言います。小屋組の基本的構造については、旧来の日本の技術によるものでは無く、西洋式のトラス構造である事がわかりました。しかも、その断面形状は、横浜開港資料館に寄託されている「堤真和家文書」の中に含まれるティボディエの家の設計図の断面図と概ね合致することが判明しました(図1)。
屋根の材料については、解体調査時に、細かい材料も含めて建設当初の部材の残存率を調べる詳細調査が実施されました(参考文献2)。その結果、屋根に材料については、多くの党所在が確認されたもののその多くは、基本構造を支える小屋組の部材とこれに付随する細かい部材でなどで、屋根材やその下地の材料の多くは新建材に置き換えられていることが判明しています。
屋根材は、建物の外観イメージにも大きく影響するので、当初材が少なかったのは残念ですが、屋根を支える骨組みでは、ほぼ全ての当初材が現存していることが確認されており、屋根の荷重を支える技術とその力学的考え方がそのまま受け継がれていた点は大いに価値があると考えられます。そして、その力学的考え方は、旧来から日本に伝わるものでなく、西洋の考え方に基づく、トラス構造と呼ばれるものであることも明らかとなりました。
ティボディエの家の屋根の技術については、更なる特徴があります。それは、どのようなものなのでしょうか。ティボディエの家の屋根のトラス構造が、特殊な形式であるところです。一般的なトラス構造とは、屋根材の下部を支える斜材を支える部材の入れ方が異なるのです。図1をご覧いただくと、屋根の真ん中の頂点から真下に向かう束という部材以外にも真ん中から手前側で2本の鉛直方向の部材が確認できます。いずれも後世に補強されたものです。この2本の補強材の内、内側のものは一般的なトラス構造の形式で、外側の補強材はあまり一般的ではなく、この補強材に連なる斜めの部材は、更に、あまり見かけない手法です。しかも、この斜めの材は、建設当初からの部材で、横浜開港資料館に寄託されている「堤真和家文書」の断面図にもしっかりと描かれています。従って、この屋根の端の方の斜め材は、計画的に設置されていたものであろうと考えられます。この特殊な形式のトラス構造は、フレンチトラスト呼ばれます。
現在のところ(今後、新発見があるかも知れませんのであくまで現時点で)、このフレンチトラスを用いた建築は、日本で3つ確認されています。
一つ目は、旧横須賀製鉄所副首長ティボディエ官舎(明治3年ごろ)。
二つ目は、新潟県新発田市にある陸上自衛隊白壁兵舎広報史料館(明治7年、旧陸軍東京鎮台歩兵第8番大隊分屯営兵舎)。
三つ目は、群馬県の富岡製糸場の繰糸場(明治5年、国宝・世界遺産)です。
この3つの共通点は、明治初期に建設されていること、そしてもう一つはフランスの建築技術が導入されている点です。他にも共通点があるかも知れませんし、フレンチトラスの他の現存遺構も発見されるかも知れません。フレンチトラスについては、ティボディエの家の学術調査を支援していた横須賀の文化遺産を考える会でも調査を進め、古いフランスの辞書にティボディエの家と同じ形式のトラス構造が掲載されているのを発見して、教えてくださったこともありました。このような地道な調査の積み重ねが現代日本の建築技術の源流解明の力になって行きます。(近代建築史担当 菊地)
図1.緊急調査時の小屋組み(2001年7月12日撮影)
<参考文献および関連資料>
1) 在日米海軍横須賀基地B‐53建物調査団(団長:初田亨)『在日米海軍横須賀基地B‐53建物調査報告書』横須賀市教育委員会, 2001年9月
2)『ティボディエ邸調査報告書』横須賀市教育委員会, 2011年2月
3)菊地勝広・安池尋幸・初田亨・福島保・前田忠史「旧横須賀製鉄所・造船所副首長ティボディエの官舎建築について」『日本建築学会大会学術講演梗概集 F‐2分冊』日本建築学会, 2002年8月
4)安池尋幸「横須賀製鉄所副首長ティボディエの官舎建築資料について」『横須賀市物館研究報告(人文科学)45号』横須賀市自然・人文博物館, 2003年3月
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