都と三浦半島(古代:8~11世紀[約1,300~900年前])
奈良・平安時代には、三浦半島にも律令体制(りつりょうたいせい)がしかれました。御浦郡(みうらぐん)とよばれた役所には、御浦郡司代大田部直圀成(みうらぐんじだいおおたべのあたいくになり)という役人もいました。寺院や役所には都と同じ屋根瓦が使われましたが、庶民は茅葺(かやぶき)の竪穴住居(たてあなじゅうきょ)で暮らしていました。
また、8世紀後半までは三浦半島に東海道が置かれていたので、当時は対岸の上総(かずさ)には船で渡っていたようです。この道を通って三浦半島の人たちは、都を警備する衛士(えじ)や九州で防人(さきもり)となるため出かけてゆきました。
このコーナーでは、市内で焼かれた土器や県内最古級の古代寺院瓦、網の重りである土錘(どすい)・石錘(せきすい)などのほか、占いに使われた卜骨(ぼっこつ)なども展示しています。
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